ずっと昔から夢の実現ばかりを考えていて、
今までの時間を、その為に費やしてきた人が居る。
その人は、夢を叶えたらどうするんだろう。
叶えた夢の先に、何があるんだろう。
そう、例えばワンピースのルフィ。
彼には海賊王になりたいという夢がある。
来る日に彼が海賊王になったとする。
そのあと彼は何を目的に、何を目標にして生きていけばいいんだろう。
コミックならそこで連載が終わるんだろうけど、本当の物語はそのあとも続く。
夢を叶えるために必要な駒はそろった。
夢を叶えるまでの道のりは既に見えた。
でも、今はその向こう側が見えない。
惰性で生きていくだけだろうか。
ならばそれはただ生命活動を維持しているにすぎない。
マズローに訊いてみたい。
自己実現の欲求が一番高次な欲求だというのなら、
それを達成した人間には一体どんな欲求が生まれるというのか。
私はその解決法を知っている。
例えば子供が出来ればいい。
そうすれば、子供を養うこと、子供の夢を叶えることを、
目的として生きていくことが出来る。
一般的に見ればそういうケースがほとんどだと思う。
しかしあくまでそれは「昇華」に過ぎない。
本来の目的を達成するのではなく、
自分の想いを子供に向けることしかなくなる。
子供の喜びを自分の喜びのように感じるしかなくなる。
それは仮初なんだろうか。
それは自己実現の引退なんだろうか。
ともかく今は達成してみるしかない。
けれど、やっぱり不安は拭いきれない。
どうしたものかな。
4 件のコメント:
何故このコンテンツに対してコメントがないのか不思議でしょうがありません。
哲学的なことを書いてるブログの多くは反抗期思春期のせいかただの愚痴みたいになってるものが多いのに、読んでいて中々面白いなと思ってしまいました。
@
>駄犬さん
コメントありがとうございます!
反抗期思春期ではなくなってしまったからかな…(´□`;)
道標や未来に限らず、
今まで持っていたものが大切であればあるほど、
それを失うことを考えれば不安になりますね。
それでもみらくる☆めいぷるは続けていくので
これからもよろしくです!
お初にお目にかかります。
こういった内容について長い文を挙げてコメントをするのは、あまりしたことがなく、そして私自身の性格、考え方の問題で、身震いするような気持ち悪い内容になっているのかもしれません、自分自身の黒歴史にもなる内容かもしれません…
内容が長く、まずこの結果に至るまでの論理も、自分が本当に考えた物とは別の物になっているのかもしれませんので、先に自分が思う事を、単純に。
私においては、そちらのいう昇華に過ぎないものは、進化という要素も含まれていると思うのです。
以下は、この結論に至るまでの私の考えを書いた・・つもりです。
実は結論に至るまでの考えすら、私の分析力が足りずに書けていないのかもしれませんが…
夢を叶えた後の悩みは、
ゲームも、同じような物と思います。
私は、ゲームでレベルを上げて、最終的にどうなるのか、等と、(別の物を主観として)打算的な考えを入れてしまうと、急にそのゲームを続ける気がなくなる事がありました。
以下は、それらの事を私が昔から考え、とりあえず今の所得た考え方です。
非常に単調な作業を除いて、
基本的に一つの行動、夢をかなえようとすれば、
その間に色々な経験をする事になります。色々な事を考えることになります。
効率、論理、倫理…
そして夢をかなえると、それまでに得た経験そのものが、能力として新たに自分に付加されるのだと思うのです。
夢を叶えて、叶えての繰り返しを行うことにより、
より難易度の高い、高次な夢を叶えることができるようになります。
そして、夢というものは、夢そのものに対して悩みを抱かない限りは、楽しみの内にはいる物だと思うのです。
そして、高次な夢を叶えることができるということは、即ち楽しみの種類が増えることです。
私にとっては、"経験を得る事"が一番大事で、"夢"というものの具体化は、難易度、そして夢を叶えるまでの間に得られる物を除いては二の次なのです。
もう少しおかしくない様に説明しますと、
私においては楽しみを得るまでに得られるものが大事なのです。
ゲーム、勉強、仕事、そういった種類というものは、二の次に考えるべきもので殆どどうでもいいと思うのです。
そうやって、経験を得て、次に夢を叶えるときに、例えば考え方を換えて楽しみを増やすこと事、例えば夢を叶えるまでの時間を減らし楽しみを増やすことが大事なのです。
今まで過ごした時間を、今までに得たものを別のものにも応用することは・・
夢をかなえ、また別の夢を叶えようとすることは、昇華という集合の中に進化という要素も含まれていると思うのです。
そして、進化するということは…
全然、ジャンル、種類などが違っているようにみえても、どこかで何かが繋がっている、新たな楽しみに出会える割合が非常に高くなる事…だと思うのです。
私自身反抗期思春期の未成年です。
もしかしたら、非常に相対的な要素を見抜けずただ延々と長い無意味な文を書いただけなのかもしれません。
全然違うようでしたら、申し訳ありません…
通りすがりに、ふと思ったのでコメント。
一言で「夢」としてありますが、「夢」の性質そのものにも因るのではないでしょうか。
例えば、「職」に就くことが目的だとしても、ただ「地位」を欲したのか、「仕事そのもの」を行いたかったのか、でも変わってくると思います。
前者だとしたら、記事の様な問いにも必然性が出ますが、後者ならば行為によって満足を得るため、自ら歩を止めることも無いでしょう(歩を進めることが夢、ということです)。
あと、逐次計算的な話になりますが、夢を達成したら、その者の内面も多少なりとも変わるはずです。
なので、よほど好奇心が無い人間でも無い限り、大体は新たな夢を見つける、いや「いつの間にか何かを好きになっている」のでしょう。
故に、大体の人は考える必要も無いし、自然と考える方向には行かないのかもしれません。
長文失礼しました。
後者を目指しつつも、それすら達成できずブラブラしている人間が、偉そうに書いてみました・・・。
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